2015年12月18日

木の家スクール名古屋2015 第5回 11月7日(土) 第1部 渡辺一正氏

2015年 木の家スクール名古屋2015 第5回 11月7日(土)
第1部 伝統木造技術 柱梁木造建築の評価について
講師: 渡辺一正氏 元建設省建築研究所第四研究部長
NPO市民文化財ネットワーク鳥取理事長
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建築研究所に在職時に、神戸の振動台に各種の木造建築を載せ、揺らした映像を見ながら、柱梁構造の粘り強さと、それを生かすにはどうすればよいかのお話を伺いました。
①2005年11月に京町家(在来工法に近い)、阪神淡路の震災で壊れた建物に近い建物。
1階の壁が2階に比べて少なく、2階の壁が固いので、揺れ始めて数秒で壊れた。
②次は建築センター模擬波(最大加速度400GAL)を使い、総2階の木造を揺らした。
「模擬波では壊れないでしょう」との先生の予告通り、ゆったりと揺れただけでした。
③1995年の兵庫県南部地震神戸海洋気象台観測波で、②と同じ町家をフルスケールで
揺らした。良く揺れたが、建具が外れただけで倒壊はしなかった。
④1995年の兵庫県南部地震JR鷹取駅観測波を 在来工法に近い2階建と伝統構法に近い
2階建の建物を揺らしてみると、1階と2階の剛性の違いが大きい建物だけが倒壊した。
⑤1995年の兵庫県南部地震海洋気象台観測波を棟の方向が異なる4間×6間の石場建平屋をフルスケールで揺らしてみたが、よく揺れたが、壊れたようには見えなかった。

振動台実験の総括として言える事
・3次元振動台による地震振動再現性実験では、かなり良いと思うが、
地盤・基礎・上屋の関係を現実通りには追尾できていない
・コンピューターシミュレーションは、振動台実験を完全には再現できていない
・従って、振動台実験で示せれば万全とはいえない

喧嘩山車、厳島神社の大鳥居、彦根城地震の間など、柱梁構造は日本の文化の原点である。
その喪失を防ぐべく、是非、柱梁構造を無形文化財にすべきでしょう。

建築研究所の役割に関して
基準法の改正が底辺に常に課題としてある。建設本省と建築研究所の間で検討するのだが、木造は、私の入所当時は誰もやっていなかった。木造否定決議が建築学会に出されたことがあり、それが響き、予算が切られ、その前に建築研究所で行った実験を基に基準法が作られた。当初の実験結果で壁倍率などが出来た。基準法は分野が広いので、建研も分野が広い。一方で法律は常に早く作る必要に迫られて、妥協案として基準法を作るので、毎年改正することになる。性能規定化により混乱を招き、基準法が厚くなった。根本から基準法を変える議論が続いている。

質問:省エネ法が変わるので、日本の伝統的な建物を残す為に、除外項目など作れないか?
回答:ヨーロッパでも同じ問題を抱えている。間違っていても、法律になるとなかなか直せないのが問題。せっかちな役所に押し切られる。
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2015年12月17日

木の家スクール名古屋2015 第5回 11月7日(土)第2部 腰原幹雄氏

木の家スクール名古屋2015 第5回 11月7日(土)第2部

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講師: 腰原幹雄氏(東京大学生産技術研究所教授、 チーム・ティンバライズ理事長)

地産地消が叫ばれているが、木材の生産地では建築需要が少なく、一方大都会では法的規制で木材を使い切れていない現状を、どのように打破するかに目標に定めてチーム・ティンバライズを立ち上げたとの事。海外での木造建築を紹介しつつ、日本での活動の経過をお話いただきました。

まず、伝統木造と近代木造の構造の違いから説明が始まりました。

「伝統木造の代表として、法隆寺の初層の構造を振動台の上で揺らしてみると、かなり揺れ
て変形しても架構は壊れない。が、現代建築はサッシなどが入っているので、変形すれば問
題が出てくる。ならば、開口部に構造用合板を入れると、剛体になり変形は防げるが、ロッ
キングが始まり浮き上がるので、足元を固める必要が出てくる。現代の構造工学を目指すな
らば、判りやすいシステムが大事で、構造要素を合板だけにする事で、判りやすい構造計画
が出来る。『判りやすい構造計画』とは、弱点を明確にして壊れる順番を把握し、ここが壊
れなければ良いと、構造計画がたてられている。そういう構造工学のもとで伝統木造を捉え
ようとするのは難しく、伝統木造と現代木造では、構造の価値観が違うものではないか?
と思い始めた」との事。

チーム・ティンバライズ結成
「伝統や慣習にとらわれること無く、木・木造の新しい可能性を模索する為に、ティンバライズという組織をつくった。建築需要がある都市部で木造が建てられるようティンバー(木材)に人が手を加えて、新しい木材として都市木造を考えるのがティンバライズの目指すこと。地産地消ではなく、都市で木造を建てる事を考え始めた。その時代の生活スタイルと社会システムに適応させるどんな木造を作れば良いのかを探り始めた。」

大断面集成材、架構計算ができる防耐火建築
「1987年に大断面集成材(エンジニアリングウッド)が作られたのが転機となり、木造も構造計算が出来るようになり、2000年に性能規定化で、基準法が改正され、高層ビルが建築可能になる。2005年に金沢に始めて木造5階建てが出来る。一方、ヨーロッパ、北米では9階建ての木造がたてられているが、木は表に見えていない。防耐火と、構造の技術が生まれ、『木造でもできる』 から 『木造だからできる』への進化が始まる。構造の設計者なら、やる気があれば出来る。各県に二人を目安に全国に100人だけ大規模木造構造設計者を育てる予定。どういう技術が必要かは未定だが、そんな体制が作りたい」と、熱い講義が終了しました。

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参考図書
都市木造のヴィジョンと技術 オーム社
感覚と電卓でつくる現代木造住宅ガイド 彰国社

 

講義が終わって、今年の講義もすべて終わり修了証を受講者の方々に
藤岡伸子先生よりお渡しいたしました
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2015年12月15日

木の家スクール名古屋2015 見学会:10/17(土) 三重県尾鷲市の速水林業 報告 午後の部 

それぞれに、持ってきたお弁当を雨上がりの森の中で広げて食べ終えたあと
いよいよ速水林業の森林を速水さんのご案内で巡ることになりました
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まずは、森林管理用のダンプにご挨拶。ベンツ社の年代物のウニモグという名前の4WDダンプ。実際に見るのは初めてでしたが、今は貴重品のお宝が現役で活躍してます。
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ホースセンターという建物があったのですが、つい森林でホースというと馬を想像してしまうのですが、そうではなくて、森林で使用する機械の油圧のホースを指しているとのこと。ここでは、ホースやワイヤーなども森林の中に放置することなく、必ず持ち帰り、廃棄物の処理を分別して行っているとの説明。ドラム缶の中身は、廃棄物です。
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速水さんの軽快な名調子でフィールドの説明が始まりました
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天然絞りの床柱になる林です。最近では需要が減っております。家に床の間の無いというのは、普通になってきてますから。
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最近話題となりました映画「ウッドジョブ」で、主人公が杉の種をとるシーンがあるのですが、それを撮影した木が並んでおりました
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高樹齢の木もたくさんあります
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重要文化財に使われる森林の前で、参加者そろっての記念写真
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苗木もすべて、いろんな実験をされながら、自ら作られておりました。挿し木による育苗です。
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集積場所には、すばらしいヒノキがたくさん集められてきております。
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森の資料館もあり、ここでは、森林の作業道具や山の記録が展示してありました

今回は、前回の時とは、また、違った発見のあった見学会でした
速水さんの勉強されたことが、フィールドで生かされ、実践されていることでは、脱帽でした。
日本の林家のなかでも、トップになられている理由は、この実業を見て理解できました
日本の木材が、正しい価格で流通され、山と海の環境も守りながら、私たちの暮らしが健康に過ごせますように
願いたいと思いました。
早朝からのバス小旅行は、好評のうちに終わり
帰りのバスは、心地よい揺れを感じながら、ゆっくりと睡眠に誘われ、あっという間に
新鮮な緑の空気の環境から都会の排気ガスに満たされた名工大につきました
また、10年後に訪れてみたい森でした
(文責 大江忍)


2015年10月26日

木の家スクール名古屋2015 第3回:7月11日(土) 第2部

土から生まれる空間とその可能性

講師:森田 一弥 氏(森田一弥建築設計事務所 代表)

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今回の講師の森田一弥氏は京都大学大学院卒業後、左官職人としてキャリアをスタートさせ、後に建築設計事務所を設立、バルセロナ留学を経て現在に至ります。講義では、左官技術の可能性と氏のチャレンジについて話して頂きました。

 

まず、左官職人となったのは偶然だと話されました。氏は学生の頃、大学では建築をいつも外側から見ているように感じられ、このまま設計等の職に就くと、仕事が表面的になりはしないかと考えるようになりました。そして、物を作る現場で働き、つくる立場の人間として建築を理解したいと思った時、知人から紹介されたのが左官屋さんだったそうです。

 

左官職人時代は、文化財修復の仕事が多く、土をこね、藁を混ぜ、日々素材と向き合って格闘されました。文化財の仕事は基本的に傷んだ部分の解体・修復の為、建物の脆弱部分が良く理解でき、この経験は後に、町屋修復の仕事を請け負った際、大変生かされたそうです。

 

現場で汗を流しながら働く中、気づかれた事がありました。

学生時代の旅の中で見た、チベットの女性が道端で行っていた作業が、自身が土なじみを良くするために藁を叩いて柔らかくする作業と同じでだと気づき、京都の伝統的な工法として習得した技術も、根源的にはインターナショナルな技術ではないだろうかと考えるようになられました。

またモロッコで見た、丸みのある石を使って漆喰を磨く技術から、石の鏝ならどんな曲面にも対応できる事に気づき、左官鏝の起源は石ではないかと考えるようになられました。

日本の左官技術は基本的に木造建築物に対し、薄く、軽く塗ることが目標です。平らな壁を塗ることに特化しているので、曲面を仕上げることは苦手です。西欧の漆喰壁は、厚く塗って構造体としての機能を持たせた上で、表面を削って装飾を施します。それぞれ個性はありますが、モロッコで見た根源的な技術から、そもそもは似たものから発生したのではと考えるに至られました。

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更に修行を重ねた後、文化財の仕事では、左官技術が本来持っている可能性を生かす場が少ないと思うようになられました。文化財修復では、鎌倉期の建物は鎌倉期の技術、江戸期の建物は江戸期の技術で行うからです。これでは、今では手に入りにくい材料を使い、今となってはやりにくい工法で施工する事になるからです。

そして、これまで学んだ左官の技術を現代の建築で生かしたいと思うようになり、独立を決意されました。

独立されてからは、まず、左官で何が出来るのかを考えられました。そして、壁のテクスチャー表現だけにとどまるのでなく、それ自身が構造として自立できないかと思いました。そこから生まれたのが、「Concrete-pod」です。この作品は厚みわずか15㎜のドームです。

この作品の経験から氏はドーム工法について調べられ、スペインのカタラン・ボールトという技術に着目されます。これは、ガウディ建築にも用いられている、型枠を用いずに薄いレンガを石膏で固めていく工法です。現在はこの工法を使用して、「Brick Pod」や「Shelter in Bngladesh」など、色々な試みを行われています。

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そして、ドーム工法を研究する中、スペインへ渡られました。留学の中で、古い建物を改修して使い続けることの意味、そして建築における時間の表現について考えられました。講義ではあるスペインの公共建築のリノベーションを例に挙げ、たとえ合理的でなくても、古いものを残して建物を新しくする事は、scrap&buildでは表現できない物をその場にもたらし、建物、素材・形式・行程・工法、それぞれが経てきた時間をその空間に留める事を、多次元的時間遠近法という言葉を用いて説明されました。

日本の建築においても、例えば、荒壁から上塗りまで何層にも重なるテクスチャーのレイヤーをもつ日本の土壁は、水平方向に積み重ねられた「時間」と言えるのではないか、という事です。

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森田氏が手掛けられた「御所西の町家」の土間では、大津壁で仕上げられた既存の古い壁と新しく塗った荒壁が対面しています。興味深い事は、荒壁はものとしては新しいけれど工法としては原始的な壁である為、とどちらが古い壁なのか、すぐには区別がつかない事です。そして荒壁という工法は、この町家よりもずっと古い歴史を持っていいます。

左官技術は原始的な技術であるが為、古い素材を用いて新しい技術で施工したり、新しい素材を用いて古い技術で施工したり、様々な選択が可能です。氏は、建物に潜む時間を表現するために、何を残して、何を新しくするのか、建物を通して建物を造った人々と対話をしながら考えるそうです。

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これからも森田氏のチャレンジに期待したいと思います。

(文:田中寛子)


木の家スクール名古屋2015 第3回:7月11日(土) 第1部






これからのひかり

講師:岡安泉氏(岡安泉照明設計事務所 代表)

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岡安氏は照明デザイナーとして、数多くの建築家や企業とプロジェクトを共にされ、またミラノサローネやその他のイベントのインスタレーションも手掛けられています。本講義では、美しい氏の作品の映像とともに、講義を聞かせて頂きました。

講義はLEDの特徴について詳しく教えて頂く事から始まりました。
LEDは2010年以降、商業空間などから利用から始まり、現在は家庭用照明の商品も数多くなりました。
以下にその特徴を箇条書きにします。

・長寿命 高効率 高輝度 発光面積が小さい
・色温度の選択肢が多い
・演色性能の選択肢が多い
・紫外線・赤外線をほとんど含まない(色褪せしない・生鮮食品への影響が無い)
・直流・低電圧(変換ロスが発生しない)
・応答速度が速い
・on/offが寿命に大きく影響しない(フィラメントを使用していない)
・発熱量がとても小さい(回路部分で少々熱が発生してしまう)

講義では各々の項目について詳しく説明頂きました。その中で特に力を入れてお話しされたのが色温度・演色性能の項目です。

原始人間は太陽の光の下で生きてきました。太陽の光は日の出・日の入りでは2000K程度、日中は7000K程度にまでなります。また、クルーゾフ効果にある通り、人間が心地良いと感じる光空間は照度(ルクス)と色温度(ケルビン)のバランスに左右されます。そしてまた人は、気候や民族の歴史的背景からも、心地よいと感じる光の空間の好みが変わります。これまでの光源は色温度や演色性能の幅が狭く、光源の種類に対して限られた選択になっていました。これに対しLEDは双方を希望のものにセレクトして製造でき、また市販品についても選択肢が広く、中には一つの光源から何色もの光を出すことが可能な商品も発売されています。更にLEDは、これまで人工照明が苦手としてきた赤色の再現も可能となりました。

講義では説明後、これまでに手掛けられた作品の映像を見せて頂きました。

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そして次に岡安氏は興味深い氏の仮設を話されました。

『エジソンが電球を発明する以前、太陽以外の灯りとなる光源は火であった。人々は基本的には太陽光を建物に取り込むことで日中の照明を得た。そして火は基本的にポータブルな灯りであり、明るくしたい対象の近くにあった。その後、白熱電球・蛍光灯の時代になると、光源の設置場所が徐々に人の手の届かない天井へと移動した。移動した理由は、明るくする為でもあるが、感電ややけどを防ぐ為でもあった。こうして、器具の設置場所がどんどんと身体から離れてしまい、安全にはなったが、人と光の関係が離れてしまった。
LEDの光は現在離れてしまっている人と光の関係を再構築する可能性を持っている。熱を持たず、感電する事が無い為、再び身体の近くに光源を持ってくることが可能だからだ。また明るさは、光源との距離の二乗に反比例することからも、光を身体の近くにすることは省エネにつながる。』と。

最後は2011年にアメリカで作成されたドキュメンタリームービー「The City Dark」を紹介し、光害について話されました。この映画は、監督本人がアメリカ北東部の田舎からニューヨークに移住した事から始まりました。

現在は、住宅の窓から、街路灯、自動販売機、サイン看板など、多くの光が必要以上に空に向かって放たれています。ニューヨークの夜の光が町中に溢れる中「我々には暗闇は必要なくなったのか?」という疑問を持った監督は、調査を始めました。ハワイで小惑星の調査をすると、街の光によって観測に弊害が出ることがわかったり、フロリダでのウミガメの孵化を追跡すると、昔は海に反射する星や月明かりを目指して歩を進めたウミガメが、今は街の灯りを目指して進んでしまっていたり、シカゴの路上では、鳥が、光により高さの感覚がわからなくなり高層ビルにぶつかってしまったり。人間にも、夜間の照明とがん発生率との因果関係が挙げられています。他にも夜の光が及ぼすさまざまな影響が懸念されている事がありますが、未だ解明されていません。

本講義を通じて、様々な角度からLEDの可能性を教えて頂きました。そして、光と人間の関係性について考えさせられました。今後、照明計画を行うときには、今日の講義を思い出し、一つ一つ、丁寧に光を選んでいきたいと思いました。

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(文:田中寛子)


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