2019年10月03日

木の家スクール名古屋2019 第4回:9月28日(土)①

里山林の歴史と再生

服部 保 氏(兵庫県立南但馬自然学校・校長、兵庫県立大学・名誉教授)

木の家スクール名古屋2019、本年度の最終回となる第4回は、本会の原点である森と木の文化について学ぶべく、服部保さん(兵庫県立南但馬自然学校)、萩野寿也さん(萩野寿也景観設計)を講師に迎えました。

前半、「里山林の歴史と再生」と題した服部さんの講演は、日本昔話、小倉百人一首など歴史や言い伝えなどからも日本人と自然の関わり合いを知る内容となりました。私たちがよく口にする「里山」とは、人間が作り出した植生であり、自然の形態ではない。では、自然の植生とは何かと研究を進めると森(原植生)にたどり着き、年降水量と年平均気温で決定され、世界でも10個しかない。日本には、そのうち4個あり、西日本は照葉樹林、東日本は夏緑樹林が多かったことが研究で分かってきたそうです。つまり、古代の西日本は「もののけ姫」に描かれているような、常緑の森で覆われていた薄暗い空間だったはずだと言われても、とても想像ができません。

その後、人間によって原植生の破壊がはじまり二次林(里山林)が誕生した。その時代は狩猟採取から農耕へと生活様式が大きく変化した弥生時代、定住した人間は燃料・肥料を持続的に採取できる場として里山を誕生させたそうです。なお、「里山」という言葉は、最近になって復活した言葉のようで、江戸時代には「山」と言っていたとか。なぜなら日本昔話によく出てくる「おじいさんは山に柴刈りに、、、」というフレーズ、里山のことを山と言っている証拠だとか。毎日、山に柴刈りに行ったおじいちゃんは、実は里山の管理者だったそうです。また、小倉百人一首でも「奥山に紅葉ふみわけ、、、、」とあるように森(原植生)のことを、わざわざ「奥山」と言っていたそうです。言われてみれば、すべて聞いたことのあるフレーズなので、納得でした。「となりのトトロ」に出てくる山の風景が里山のイメージだそうです。

時代が進み現在、主燃料が薪や柴から化石燃料に変化すると、里山の3原則(更新、輪伐、柴刈り)を行われているところは皆無なため、里山はほぼ無くなったとか。兵庫県の一部のみ、茶道で使用する炭を生産するため台場クヌギなどの工夫をした本当の里山が残っているそうです。全国的に里山放置林をどのようにしていくか、今の服部さんが取り組んでいる大きな問題です。

服部さんは、里山が持っていた多様性・明るさだけでも残したいと、兵庫県で積極的に活動しているそうです。里山の森林の機能を考え、生産機能(燃料・肥料)は消失したが、多面的機能(環境機能、減災機能、文化機能)は持続しているため、大切にすべきであるというのが服部さんのお考えです。各地で昔の里山に戻す試みを行われているようですが、我々が薪、炭を使う生活に戻らない限り経済的に無理が大きい、だったら里山を多様性夏緑高木林に変化させるため、常緑樹林を伐るなどの活動を行っているとのことでした。

会場の聴衆からも、日本全国の放置里山林に関する質問や、原植生と里山林の多様性の質・量の違いに関する質問が出るなど、とても充実した講演となりました。

(文:清水秀丸)