緑の列島ネットワークで以下のような宣言文をつくり、2001年の元旦、朝日新聞紙上に意見広告として載せるべく、千人連名の宣言となることをめざして賛同を募ったところ、2271人の賛同があり、実現することができました。これが「近くの山の木で家をつくる運動」宣言です。

詳しい内容については、緑の列島ネットワークで出した「近くの山の木で家をつくる運動 宣言」(農文協刊)をご参照ください。

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近くの山の木で家をつくる運動 千人宣言 原文

最北端の宗谷岬から南の八重山諸島まで、延々三千キロにわたって弓状に連なる日本列島は、その国土の三分の二が、森林によって覆われています。海岸線の町、盆地の町、どの町を流れる川も溯(さかのぼ)ってゆけば、緑の山々にたどりつきます。山は川の源です。海は川の到達点です。この山と川と海が織りなす自然こそ、私たちの生命の在りかであり、暮らしの基盤といえましょう。
いま、この緑の列島に異変が起きています。破壊的ともいえる、山の荒廃です。
何が起きているのか? 現実に立ってみることにします。つい最近、スギの山元立木(やまもとりゅうぼく)価格※が一九六〇年(四十年前)の価格程度に戻ったというニュースがありました。
四十年前といえば、あんぱん一個の値段は十円、映画館の入場料は百十五円でした。物価も収入も上昇したというのに、スギの値段だけは、四十年前の水準に戻ってしまいました。木が育つには、何十年も、何代にもわたる人の手がかかっています。ことに人工林は、雑草木を刈り、つるを切り、枝を打ち、間伐を行う、といった細かな作業を必要としており、これを怠ると、木の生長が抑えられるというだけでなく、環境に大きな影響をもたらします。
町がスギ花粉に見舞われるのも、鉄砲水が続出するのも、山に手入れが行き届かないから、といわれています。古くから、治山は治水、といわれてきました。豊かな平野は、後背(こうはい)の山あってのことです。川や海の魚がおいしいのは、山が豊かなればこそです。木は再生可能な資源であり、地球温暖化防止に重要なCO2吸収の主役でもあります。
それなのに、山の暮らしは成り立たず、山から人の姿が消えかかっているのです。
私たちの祖先は、ごく自然に木という素材を選び、鋸(のこぎり)、 鉋(かんな)、 鑿(のみ)などの道具を用いて家を建ててきました。そこには人がいました。山を守り、木を育てる人。木を伐り、製材し、運ぶ人。材を加工し、家に組立てる人。いま、山から人は失われ、職人の腕は低下したと嘆かれ、柱のキズで背比べする姿は消えたかにみえます。
山の荒廃をストップさせ、木の文化を蘇(よみがえ)らせるには、何を、どうしたらいいのでしょうか?
まず我々は、連鎖する自然と地域の営みの中に生きて在ることを知りたい。次に我々は、近くの山の木で家をつくる、という考え方を取り戻したい。山と町、川上と川下、生産者と消費者が面と向き合って話し込めば、お互いの置かれた現実がよくみえてきます。山に足を運び、荒れた山の現場に立ち、手入れの行き届いた山をみれば、みずみずしい緑を、協働のちからで取り戻そう、という気持が涌いてきます。悩ましいお金の問題も、寄り合って吟味を重ねると、建築費の中で木材費の占める割合が、思われているほど高いものではなく、決して高嶺の花でないことも分かってきます。木は乾燥が大事なこと、土や紙や竹などの自然素材も地域に身近にあることを知ったり、木は建築後も生きて呼吸していることや、木の家は補修すれば寿命が長くなることなど、大切なことがいろいろとみえてきます。これらの価値を、皆で結び合い共有すること、それが、近くの山の木で家をつくる運動の原動力です 。

(2000年12月)