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2009年9月29日

2009/9/26 木の家スクール名古屋 一般公開講座 里山の暮らしが約束してくれる、懐かしい未来のライフスタイル

里山の暮らしが約束してくれる、懐かしい未来のライフスタイル

  -高蔵寺ニュータウンの村長さん夫妻からのメッセージー 

 

講師の津端修一さんは

 名古屋市近郊の春日井市高蔵寺ニュータウンの都市計画事業の設計者です。

講演をお願いした日は伊勢湾台風が襲来した50年目の9月26日。奇しくも同じ日にお話を伺うことになりました。

東海地方で5000人もの人々が命を落とすことになったこの災害は、津端氏に「人はどこに住むべきか?」と、問いを投げかけてくれたと、話が始まりました。

地価の安い埋立地は人の住む場所ではない、人は「丘に登ろう」、そして「人の住むところに水を通そう」と、

当時の愛知県知事桑原氏と副知事の松尾氏の後押しで、昭和23年に計画された愛知用水が、

やがて高蔵寺ニュータウンの脇を流れ、遠く知多半島にまで農業用水として恵みの水を供給するようになりました。

 

 津端氏がもうひとつこだわったのは、自然の地形をそのままに活かすという、

若い頃に師事した建築家アントニン・レーモンドの設計思想

(レーモンドは、そのまた師匠にあたり「建築とは自然への捧げ物」と言ったフランク・ロイド・ライトからこの思想を受け継ぎました)、

表土を大切にするドイツ流の都市計画手法でした。

残念ながらその案は採用されず、ニュータウンの表土は削り取られ、無残な禿山と化し、その情けない景色が、

津端夫妻をして、この地に森と緑を取り戻す強い動機になったのだとお話しされました。

 

名古屋から電車で25分の高蔵寺ニュータウンの一角に、津端夫妻のお宅があります。

分譲が始まった40年前の殺伐とした景色も、今ではすっかり緑に覆われています

。他の住宅公団の地域では見られないこの豊かさは、津端氏が主張して譲らなかった建築密度の低さです

。1ヘクタール当たり100人の建築密度とは、3,000坪に100人=30坪/1人です。

平均4人家族なら120坪になりますから、1軒の土地区画が150坪ぐらいでしょう。それは広い!

 

津端夫妻の敷地は300坪。うち、250坪が

キッチンガーデンと雑木林

そこで120種類の野菜や果物を育て、

少しのお肉と魚を買うだけの、ほぼ自給自足の暮らしを楽しんでいます。

ドイツでは、自分の食べるものは自分で作れるように、フランクフルトの街中でさえ、

アパートの住民が耕せる市民農園が一人当たり100坪用意され、食料自給率は100%を超えているとのこと。

一方、日本は食料自給率が40%。このニュータウンで庭を楽しむライフスタイルを普及させたいと、

毎日鍬を振るい、落ち葉や野菜くずを土に返し、自作のベーコンと野菜でお客様をもてなしています。

 

講演会当日も、お二人が育てたハブ茶の種を、来聴者の方たちと言葉を交わしながら手渡されていました。

日本中に津端家のハブ茶の花が咲き、庭への関心が深まるきっかけになればと願って。

 

最後にお二人のお年を明かしましょう

ご主人の修一さん84歳、1925年生まれ。

奥様の英子さん81歳。

お二人とも病気入院の経験なし。

病院とのご縁は、英子さんが出産のために二度入院された時だけとか。

英子さんの好きなことは、家に居ること。

午前中はお庭の手入れ。

取れたて野菜が一杯のおいしい昼食の後は3時から5時までお昼寝タイム。

毎日、靴下を編み、機織をして、手足を動かすことを忘れません。

「だんだんと美しくなる人生を設計するのは夢ではない」

とのお二人の言葉にはしみ入るような説得力がありました。

そんな人生に、万歳!

 

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2009/8/22 緑の列島 木の家スクール名古屋 [野村勘治氏]

近世・近代・現代の造園デザイン

野村勘治氏(野村庭園研究所 代表)をお招きし、「近世・近代・現代の造園デザイン」と題して講義を頂きました。
近世の作庭家を代表して小堀遠州、近代では小川治兵衛、現代では重森三玲という、各時代を代表する作庭家の仕事を通じて、日本における造園史を俯瞰しようというスケールの大きなお話でした。

小堀遠州の庭は、幾何学的なデザインが特徴であり、西洋庭園的な要素もあるようにも見えます。これは、真・行・草で言うならば真の庭であり、壮大な大名の庭をいくつもデザインしました。野村氏によれば、小堀遠州は様々な情報から中国の宮廷の庭を念頭に置いていたのではないかとのことです。しかし一方、ヒューマンスケールの弧蓬庵では美しく艶やかなや空間が随所に見受けられるなど規模や対象に合わせて自在にデザインし、しかしその中でも共通した遠州好みの要素があり、あらたな庭園の見方をいろいろと教えていただきました。

野村勘治1

 

自然な雰囲気のある小川治兵衛の庭はイギリスの風景庭園を彷彿させるとも言われるようです。しかしその源流には、江戸の大名庭園のデザインがあるそうです。そして、現代アートにも通じる重森三玲のモダンな庭はどこから来たのだろうか。一時期は画家を目指した三玲ですが、作庭に出会い、古典を学びなかでも小堀遠州へのオマージュとして庭をつくり続けたとのことでした。

 

野村勘治2
日本の庭についてはなかなか学ぶ機会も少ないと思いますが、今回は日本の庭の歴史的な流れや連関について教えていただきました。社会や環境、景観に対して、個人や公共の庭が果たす役割はますます大きくなっていくと思われます。これからの庭を考えるにあたり、歴史的な文脈を知るとてもよい機会となりました。

(文責:宇野)


2009/7/12 緑の列島 木の家スクール名古屋[澁澤寿一氏]

日本の森に見る持続可能なシステム 

澁澤寿一氏(NPO樹木環境ネットワーク 専務理事)をお招きし、「日本の森に見る持続可能なシステム」と題して講義を頂きました。

かつての日本にあった持続可能なシステムとはどのようなものだったのかについて、美しい写真とともに胸を打つお話をしてくださいました。お話の中で印象的だった部分を少し紹介させていただきます。

 

データからも生活上の感覚からも、1960年代までの日本と、それ以降の日本は大きく変わってしまった。その頃までは、江戸時代から続く、自然とともにある、環境負荷の少ない社会が十分に残っていたのです。高度成長期に機械化、電化が進み、様々な道具が消え、仕事が減り、素材が変わり、ライフスタイルが変化してゆきました。
豊かで大切なものを随分なくしてしまった1960年代。「その曲がり角」を違う方向に日本が曲がっていたらどうなっていたのだろうか。

 

昔の日本には、「仕事と稼ぎ」ができて一人前という考え方があったそうです。
「稼ぎ」とは百姓や出稼ぎで家族を食わせること。
そして「仕事」とは、地域のために、次世代のためにやるべきことをやること。祭りや山仕事などがそれにあたります。
山仕事は、今日の手入れが実益となるのは何十年も、下手したら100年以上も先です。
しかし、山の土壌は流出してしまえば、再生するのに10年から100年といった長い時間がかかります。
自分の代のためだけではなく、子孫のために「仕事」をしていた素晴らしい時代。

 

当時の人々は五感を研ぎ澄ませて「農」をやっていまました。
野良仕事の帰りにはおばあさんが祠に立ち寄り、長い時間手を合わせる。
祈りの内容は「今日一日、生かせてくださってありがとうございました。」
高度な循環系のなかに、祈りの場、感謝の場がありました。

祠

また、澁澤先生のお話の中で、持続可能な集落のお話がありました。
(参照 http://watashinomori.jp/go/image_itv_03.html

 

 

江戸時代がなぜ持続可能であったのか?
自然の成長量以上に自然から搾取すれば当然環境は荒廃します。
ですから、自然が成長した「おこぼれ」を人間が授かって生かしてもらっていたのです。
おばあさんの感謝は、「おこぼれ」以上に自然を傷めることをしないという誓いであったのかもしれません。

江戸の社会や暮らしから、私たちは多くのことをあらためて学ぶ必要があるような気がします。

 

澁澤先生(左)

澁澤氏(左)

(文責:宇野)


2009年9月1日

2009/8/22 緑の列島 木の家スクール名古屋 【山田貴宏氏】

—パーマカルチャーとエコロジカルな住まい方—

ビオフォルム環境デザイン室代表。NPO法人パーマカルチャーセンタージャパンの理事も務める山田貴宏さんに、『持続可能な環境デザインの手法と原則・食べられる場づくり』のお話をお伺いしました。 

化石エネルギーに依存した一方通行の生産システムにより、いま人類は未曾有の課題である気候変動や資源の枯渇に直面しつつあります。

そんな中、山田さんが主軸においているのが“パーマカルチャー”の手法です。

あらゆるものが多様な関係性を持って成り立つ“生態系”のシステムをお手本とし、ありとあらゆる生活の要素を統合するなかで、建築のデザインに取組んでいらっしゃいます。

 今回は、パーマカルチャーの説明やその手法を活かした事例などを、沢山の写真を交えながらお話ししていただきました。

 

パーマカルチャーは生態系をモデルとしたデザイン手法。自然の生物、植物、森の営みがお手本。

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『うまい! 早い! 安い!』の家づくりは、別のところに、あるいは将来に、そのツケをまわしているだけのこと。

決して本当にうまくて安いわけではない。e4bd8fe5ae85e8a1971

食べられる空間づくりとエココミュニティーづくり

・農的暮らしのデザイン

・建物を中心とした周辺環境との一体的なデザイン

・『農』を接着剤としたコミュニティーづくり   e382a8e382b3e38393e383ace38383e382b81

『畑がついているエコアパートをつくろう』

チルチンびと56号でも紹介されています。

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2009年7月27日

2009/7/11 緑の列島 木の家スクール名古屋2009

ストゥディオ・プラナ代表の林 美樹さんに、『自然な建築と暮らしをデザインする』のタイトルで、都市部でも可能な自然な生活と住まいについてお話を伺いました。

「草屋根はどうしても作りたかった」妻と、「冷房は使いたくない」夫のお二人の施主のたっての希望により、草屋根に初挑戦。始まりはこんなイメージから。

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3度目の夏を迎える屋根の野芝は建物となじみ、住宅街にそこだけ里山の風情。

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既製のステンレス鋼板と軽いヤシマットを使い、施主、設計士、下職、友人一同で施工することで、予算を抑え、オンリーワンの草屋根ができる。

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芸術(美しい建物)は人々に愛され、命を永らえる。伝統的手法で家を建てる事が、自然の循環サイクルに近付き、建物の寿命を延ばす。トータルでローコストな建物や暮らしが、林さんの目指すことだ。

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季刊誌『住む』の2009年夏 NO.30に草屋根の家が載っています。