2010年09月24日

2010/9/18 木の家スクール名古屋 一般公開講座 開催しました(藤岡伸子氏)

「木の文化の国に生きること-歴史的理解から未来へ-」-と題して、

名古屋工業大学大学院 藤岡伸子教授 に講義をいただきました。

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いつもは木の家スクール名古屋の運営を担っている藤岡先生ですが、研究者としては比較文化論・美学を専門とされております。

 今回は、人と自然との関わりの変遷について、世界史的観点から洋の東西を超えて概観しながら、特に日本で古くから培われてきた木の文化の独自性と未来への展望について話していただきました。

 17世紀のヨーロッパで近代科学が誕生し、それを武器とした近代主義がその後の世界を席巻しました。

その根本想定は、自然から、崇高さや生命の煌めきなどの精神性を徹底的に排除した、それまでの世界史上まったく類を見ない機械論でした。

自然界の究極の姿は物質であり、その機械仕掛けの自然界は、人間の利益のために如何様にも改変してよいとされたのです。

 以来、より多くの物質的富が、より効率よく、より少ない労力で、より早くもたらされることが求められ続け、やがて産業革命にいたります。近代の始めには、人間に幸福をもたらすと期待された新しい世界観は、結局、自然環境と人間の内面に深刻な打撃を与えるような本質的欠陥をもっていたことに私たちは徐々に気付くことになります。

 我が国では、明治以降の急激な近代化とそれに伴う社会構造の変化の中で、古代から培われてきた木や森を仲立ちとした自然との親密な関わりが失われ、いわば文化的な迷子となったまま、物質的な富の追求に翻弄されてきました。

水と緑あふれる自然環境は大きな痛手を負い、地方の地域社会も壊滅寸前の状況です。

世界では、1960年代以降、近代主義に疑問が投げかけられ、徐々に生態系中心主義への転換が唱えられるようになって今日に至っています。

今や西欧においてさえ、それぞれの地域文化や伝統に立ち返ることで、近代主義を乗り越える道を模索しています。

しかし、理念抜きで近代化を急速に推し進めた日本では、特に日常生活における伝統文化との断絶が他に例を見ないほど深刻です。

 これからの時代を私たち日本人はどのように切り開けばよいのでしょうか。

藤岡先生によると、伝統社会ではごくあたりまえだった小スケールの地域社会や、生きる手応えを強く意識できる(ローテクな)適正技術がキーワードになるのではないかとのこと。

日本の自然史的背景や歴史、そしてその最も特徴的な木の文化を再読しながら、これらからの社会の在り様を考えてみたいと感じさせる講義でした。

生態系と持続可能社会についても議論は波及しましたが、この9月に出版されたばかりの

訳著「生態系サービスという挑戦-市場を使って自然を守る-」

 名大出版会、 3400円+税)に詳しく掲載されております

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