公開イベント

2010年6月5日 記録ビデオと発言録: 構法・歴史部会 麓和善 主査

フォーラムの記録ビデオを公開します。ビデオは基本的にプログラム毎に分割し、記録時間が長いものはさらに複数のビデオにわけてあります。各ビデオはパソコンの小さな画面でもわかりやすいように編集を施してありますが、発言自体はノーカットで収録しています。

構法・歴史部会の方針
麓和善 主査

「伝統構法とは何か」がひとつではないのはなぜか?

構法歴史部会主査の名古屋工業大学の麓と申します。私、大学の教員になる前に10年間ほど文化財建造物の修復の実務についておりまして、大学に行ってからも研究テーマの一つとして、江戸時代から明治ぐらいに書かれた日本の教科書的な建築書を研究テーマとしておりまして、この構法についても少し調べておりましたので、ということで今回の構法歴史部会の主査を勤めさせていただくことになりました。4月からこの委員会が始まって振動台実験の試験体をつくるにあたって、多くの実務の人たちとご意見を聞きながら進めていくと伝統構法というのがずいぶん異なっている。これはそれぞれの人たちの間で異なっている。これはどうしてかというと、最初に簡単に話をしたいと思います。

幕末から明治、ヨーロッパの建築学の影響による木造の近代化

幕末から明治初期の頃にヨーロッパの建築学が入ってきてそれにあわせて日本の木造形式の近代化ということを考えるのですが、その大きな柱が耐震化でした。とくに小屋組みに和小屋が組まれている状況で洋小屋に変えようなんてこともありました。今ではもう信じられないことなのですが、国宝になっている唐招提寺講堂が明治40年に文化財修理をしたんですが、そのときに奈良時代の和小屋小屋組み材を全部すてて新しく洋小屋に変えたということもありました。

明治20年代の震災後「木造耐震家屋構造要領(伊藤為吉)」
筋交と土台の設置、金物接合

このようにまずは木造建築の近代化・耐震化ということが始まるのですが、とくに明治24年に濃尾地震がおきます。そしてその翌年、明治25年6月に震災予防調査会というのが設立されます。そしてさらに明治27年に山形県酒田地方の震災があって、その復興家屋の指針として「木造耐震家屋構造要領」が発表されます。一方でそれとほぼ同じ時期、ちょっと早い時期ですが、アメリカで実務を経験した伊藤為吉という人が、日本の家屋構造の欠点を指摘してそれを改良するような提案がなされまして9月に発表されます。ここにまとめておりますが、そこにかかれております伊藤為吉の案としましては、日本家屋の欠陥として、屋根重量が過大である、柱が孤立している、ほぞ穴等継手仕口の部材の切り欠きが多い、貫や楔による固定が一時的、つまり一時的といつうのは、楔を抜いて取り外しができるということですね。そういうことを当時は欠陥として指摘して、それに対する改革として筋違や土台の設置の必要性や木造各部分を固定金物で固めるというものを彼自身が考案して、その使用法を説明するといういことが行われます。

大正5年「家屋耐震構造論」
土台は基礎に緊結

そういうことから始まって、大正5年になると日本の構造研究者のさきがけとなる佐野利器が「家屋耐震構造論」というのをまとめます。その木造家屋の章には、そこに書いてあった抜粋ですけれども「土台は柱脚を連結するに最も有効なり」ちょっと省略すますが、「土台は側石上端にダボ又はボルトによりて固定せらるべし」とかいてある。さらに「柱はすべてほぞ立てとなすべく土台との接合には鎹、筋違ボルト又はその他の金物を用うべし」というようなことが書いてある。そのもう少し後、昭和になってくると、これは教科書です、「高等建築学」という教科書なんですが、そこの木構造には「土台は植え込みボールト類を持って基礎に締め付ける事を原則とする。

礎石立ての方が建物の損失が少ないという意見もあったが
全体としては、建物の足元は緊結という方向に

ただしこれには反対の説もあるようであるが、ここで論ずべき範囲ではあるまい」というふうに記しております。その同じ教科書の社寺建築という章にはちょっと違う意見で、「礎石との連絡にボルト等を以って地面に緊結することの可否に就いては、関東大震災以後の数度の災害の実例によって見れば、旧法の如く礎石に乗せたのみの柱は建物が容易に移動して歩くが、建物自体の損失は少ない。このことは各部材の大きいことも重要な原因である。然るに地面にボルト等で緊結したものは建物は歩かないが、頭部が揺れ捩れて柱を割り貫を損じて、建物自体の破損は大きいようである。」こんなようなことが双方の立場から書かれているわけです。

こういう経緯があるんですが、その後の耐震性能向上の考え方というのはやはり佐野利器のような意見で、土台および柱足元を基礎に緊結して、接合部にはより強度の高い継ぎ手仕口や金物を用いて、部材欠損部を補うために部材断面寸法を大きくしてきたということがはっきりいえると思います。

伝統構法の変形性能を構造力学的に解明するには
近代化以前(江戸〜明治)の構法を検証する必要がある

でもこれは柱を礎石に緊結しない構法というものを科学的に十分検討した結果とはいえないと思います。そこで新委員会の目的はこれまでの話にありましたけれども、石場建てを含む伝統構法のすぐれた変形性能を構造力学的に解明するということですので、そうすると明治期以降に近代化された構法を用いるのではなくて、また最初から伝統技術を用いた新構法を提案するのでもなくて、明治期以前の伝統構法、そして住宅を主体とするのであれば江戸時代以降になる。すなわち江戸時代から明治期ぐらいの伝統構法を用いてその性能検証実験を行う必要があるというふうに考えました。

で、構法歴史部会が最初になすべきこととしましては、江戸時代から明治にかけて初出刊行された古い建築書、古典建築書や実際の建物の事例、これは文化財になると思います、解体中の情報が得られると言うことで、その文化財修理工事報告書等を調べて本来の伝統構法明らかにする必要があると思います。

材料1〜古典建築書に見る伝統構法

その二つのうちの一つ、古典建築書にみる伝統構法ですが、ざっと室町時代末から明治初期の古典建築書というのは現在600本以上が確認されております。これは私の師匠の代からもう40年近くかけて全国的に集めたものです。そのなかには社寺建築等のプロポーション論である木割り、細部意匠に関する絵様、曲尺を用いた幾何学的な墨付け法、規矩術、継ぎ手仕口を組む構法、こういうものが主な内容としてあります。そのなかの構法雛形については約80本、そしてその中には継ぎ手仕口雛形が25本確認されております。これについては十数年前になりますが、私と同じ名工大教授の若山滋教授と一緒に本に纏めております。大龍堂から出てる日本建築古典叢書の第8巻、近世建築書-構法雛形、ここに資料全部を網羅的にそのまま掲載しております。

で、そこにだされた25本の資料をもとに継ぎ手仕口を纏めますと、105種類になりました。そして部位や部材別に用いられる継ぎ手仕口の種類も分析しております。継ぎ手仕口がどう変化して発展してきたかということについても一応考察はしております。これをもう一度再検証する必要はありますが。で、実例です、これが。その資料に出ているわけです。とくにこのへんが土台の隅の襟輪、小根ほぞなんかがでていますよね。こっちは蟻で入るようなものです。あるいは貫の略鎌等があります。それと脚元を固める脚固め、これは礎石のすぐ上に載る、ただ柱勝ちで礎石の上に載って、脚元を固めるときの仕口等が書かれている。それとかたとえば桁の上に梁を乗っけるための仕口なんかも、そういうものがこちらに出ております。差し物も江戸時代からこういうふうに使われております。あとは実際の組み方のモデルとして、土台、この場合はちょうど今回と同じような4間6間の場合、礎石を置いて土台を置くというような標準的なモデルとして書かれています。そしてさらにこの上に小屋を架けるときにこんな具合に架けるという教科書ですか、標準的なモデルとして書かれています。あるいはこの資料には京町屋の組み方がわかるような挿図がある。こういうものを分析する。

材料2〜文化財の修理工事報告書

一方ではこんどはもう一つ、文化財等における伝統構法ですけども、現在、国指定の重要文化財というのはざっと4300棟あまり指定されております。そのうち住宅建築、これは社寺の書院や客殿、町屋、農家、洋館等、そういうもの全部含めて1100棟あまりありまして、このなかでも町屋と農家に関するものを修理工事報告書としてあげると現在、400本ぐらい、これはなかなか正確に数えられないのですけど、その修理工事報告書の中には、構法仕様に関する記述が詳しくありまして、架構図とか継ぎ手仕口をアイソメで書いてあるものもあります。

これは奈良の今井町にある高木家住宅、文政〜嘉永、19世紀の前半の建物ですが、こういう2階建ての建物で、ちょっと2階が低くなっていますが、2階建ての建物で、その修理工事報告書にはこういう組み方、小屋組の架構法等も挿図で入っております。一般的にこんなふうに一覧表で出すんですが、たとえばこういうところに継ぎ手仕口がどうなっているか、これ小屋組材のすべての継ぎ手仕口等がこういうところに記されております。そして差し鴨居の仕口として、これは6種類ある、この6種類を全部こんなふうに書いてあります。これは非常に情報量の多い、いい修理工事報告書なんですが、こういうものでも100くらいありますので、それからデータを拾っていくことが可能です。

構法の分類整理・地域性や歴史的変遷の解明

こういうものを使って構法歴史部会の主な検討項目としましては、修理工事報告書等を収集して構法を整理分類するとともに構法の地域性や歴史的な変遷を解明する。伝統構法、継ぎ手仕口や軸組みやその他小屋組にいたるまでありますが、そういうものの分類整理と構造的な特性を解明していきたい。そしてそういうもののできた伝統構法の歴史的な背景、これはたとえば継ぎ手仕口なんてのは大工道具の発達と木材の加工方法というものが関係してくると思いますが、そういうものを解明し、それが明治以降どう変わっていったかといったことの検討も必要だと思っています。その上で本来の伝統構法というものを本来の設計法に生かせるように活動を行っていきたいと思います。以上です。