2009年09月29日

2009/7/12 緑の列島 木の家スクール名古屋[澁澤寿一氏]

日本の森に見る持続可能なシステム 

澁澤寿一氏(NPO樹木環境ネットワーク 専務理事)をお招きし、「日本の森に見る持続可能なシステム」と題して講義を頂きました。

かつての日本にあった持続可能なシステムとはどのようなものだったのかについて、美しい写真とともに胸を打つお話をしてくださいました。お話の中で印象的だった部分を少し紹介させていただきます。

 

データからも生活上の感覚からも、1960年代までの日本と、それ以降の日本は大きく変わってしまった。その頃までは、江戸時代から続く、自然とともにある、環境負荷の少ない社会が十分に残っていたのです。高度成長期に機械化、電化が進み、様々な道具が消え、仕事が減り、素材が変わり、ライフスタイルが変化してゆきました。
豊かで大切なものを随分なくしてしまった1960年代。「その曲がり角」を違う方向に日本が曲がっていたらどうなっていたのだろうか。

 

昔の日本には、「仕事と稼ぎ」ができて一人前という考え方があったそうです。
「稼ぎ」とは百姓や出稼ぎで家族を食わせること。
そして「仕事」とは、地域のために、次世代のためにやるべきことをやること。祭りや山仕事などがそれにあたります。
山仕事は、今日の手入れが実益となるのは何十年も、下手したら100年以上も先です。
しかし、山の土壌は流出してしまえば、再生するのに10年から100年といった長い時間がかかります。
自分の代のためだけではなく、子孫のために「仕事」をしていた素晴らしい時代。

 

当時の人々は五感を研ぎ澄ませて「農」をやっていまました。
野良仕事の帰りにはおばあさんが祠に立ち寄り、長い時間手を合わせる。
祈りの内容は「今日一日、生かせてくださってありがとうございました。」
高度な循環系のなかに、祈りの場、感謝の場がありました。

祠

また、澁澤先生のお話の中で、持続可能な集落のお話がありました。
(参照 http://watashinomori.jp/go/image_itv_03.html

 

 

江戸時代がなぜ持続可能であったのか?
自然の成長量以上に自然から搾取すれば当然環境は荒廃します。
ですから、自然が成長した「おこぼれ」を人間が授かって生かしてもらっていたのです。
おばあさんの感謝は、「おこぼれ」以上に自然を傷めることをしないという誓いであったのかもしれません。

江戸の社会や暮らしから、私たちは多くのことをあらためて学ぶ必要があるような気がします。

 

澁澤先生(左)

澁澤氏(左)

(文責:宇野)